小浜逸郎と櫻田淳の対談 『「弱者」という呪縛』 という本を読んでいます。(PHP研究所,2001)
この本の第2章に、『建前としての「体罰禁止」の弊害』という節があり、興味深かったので、ご紹介です。
まず、
「日本では体罰は禁止ですが、アメリカやヨーロッパはどうなんですか」
というインタビューアの問に、小浜さんが答えます。
・ 欧米で作られた近代の学校制度では、厳しい規律訓練ということが基本精神だった。
・ 体罰というのは、もともと欧米の考え方。
・ ジョン・ロックの白紙論 → 早期に厳しい訓練をすることは大事。
・ 教育はもともと大人の社会にいざなうための通過儀礼
そして、絶対に体罰はいけないという建前があるがゆえに、
「子どもの秩序攪乱の行為がひどくなり、ある一線を越えたときに教師が逆ギレしてしまう、一気に激しいほうに振れてしまう」
という悲劇が生まれているということが語られます。
その後、今度は櫻田さんに
「懲戒についての具体案と言いますか、何か考え進めるヒントのようなものはありませんか」
という問が投げかけられます。
ここが、本題です!
櫻田:
よく「お尻、ペンペン」と言いますね。
あれがどういうことかと言いますと、二回だけ、お尻を叩くということ だと思うのですよ。
お尻を叩かれると痛いかもしれないけれど、身体的に傷が残るとかいうことはないですよね。
二回だけは痛い思いをしなさい という、きわめて理に適った言葉だと思います。
小浜さんが言われたように、建て前ですべて縛ってしまい、その結果、ぎりぎりでとんでもないことになる。「お尻ペンペン」ってそういう意味だったんですね!!(そうなのか?
ならば、3発だったら「お尻ペンペンペン」で、4発は「お尻ペンペンペンペン」になって、10発の場合は10乗を使って「お尻(ペン)
10」になるのかなw
お尻百叩きは、「お尻(ペン)
100」ってこと!?
まあ、要は 《 程度の問題 》ってことなんでしょうけれどね。
実際には、3発かもしれないし、10発かもしれない。
でも、いずれにせよ、
身体に傷は残さず、心に「悪いことをすると痛いんだ」ということを刻み込む のだということ。
身体に傷が残るほどのものになると、僕は萎えてしまいます。それは、もはや体罰ではなくて、虐待・暴力ではないかと思うのです。
僕の場合、虐待や調教みたいなものには惹かれないのですよねー。
じゃあ、体罰と虐待(あるいは調教)って何が違うのかってことになるんですけど、それはやはり、精神面の違いなのではないかと思います。
体罰は、相手を叱る ためのもの。そこには、
父性愛 か
教育愛 が満ちていなくちゃいけないし、何らかの
教育的な意図 に則った
冷静 なものでなければならない。
そして、なにより、
相手の身体に傷や後遺症は残さないで欲しい。
(これは、あくまでも僕個人の考え方ということであって、他の人の考え方・感じ方を否定するものではありません)
実は、「お尻ペンペン」という言葉には、叱るための体罰で大切にしたいことが秘められていたのかもしれませんね!
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今回も興味深く勉強になりました。
以前、大叔父が入営初日に全裸にされてお尻を叩かれたらしいですが、あれは上下関係を身体に覚えさせる為の行為だそうです。