( ※ 以下、事実を基にした、〈 フィクション 〉です )
1988年2月のある日の朝のこと。ここは、H県にある公立のT中学校である。
体育科のA教諭が担任する1年1組の教室では、いつものように服装検査が執り行われていた。T中学校の服装規定はたいへん細かく、たった10分間の検査時間では、とても全ての項目を検査することはできない。そこで、A教諭に限らず、「今日はこれ!」というポイントを定めた上で検査を行うのが一般的であった。
この日は、下着の検査も行うため、男女別での検査となっていた。1年1組の教室には、1組と2組の男子が集合している。一方、両学級の女子は1年2組の教室に集まっていた。
各自の席で起立した男子生徒たちに、A教諭が告げた。
「よし。全員学生服を脱げ!」
指示に応じて、生徒たちは学生服を脱いだ。校則通りならば、学生服の下は白のカッターシャツである。しかし、教室内を見わたすと、ところどころ白色でなく、黒色や灰色や紺色が目に付くのだった。もちろん、すぐにA教諭の怒号が飛んだ。
「BとCとDとE! セーターの着用は校則で禁止されているだろうが!!」
今朝は大陸から強い寒波が流れ込み、山沿いにあるこの町は、氷点下5度まで冷え込んだ。セーターの1枚や2枚、着たくなるのも当然であろう。だが、T中学校の校則では、『男女共、手袋・コート・マフラー・セーター等の防寒具及びこれに類するものは絶対禁止する。』と規定されているのだった。
「お前らに、服を着る資格は無い。服を脱げ! パンツ一枚だ!!」
非情な宣告が下る。しかし、もはやこういう事態に慣れっこになっている生徒たちは、無表情なままである。四人の生徒たちも、ただ淡々とカッターシャツやランニングシャツ,学生ズボンなどを脱ぎ去った。もちろん、パンツは校章入りの白ブリーフである。
「他の者は、次にシャツの検査だ! 校章を見せろ!!」
生徒たちは、カッターシャツをめくるようにして、その下に着ているランニングシャツに入っている校章を見せる。毎日のように服装検査が行われるため、その所作は熟練していた。A教諭が順に確認し、特に問題はなかった。その間じゅう、先ほどの四名はもちろん白ブリーフ一丁で立ったままである。
「次に、パンツの検査だ! ズボンを膝まで下ろせ!!」
指示を受けて、無表情のまま淡々とズボンを下ろしていく生徒たち。そこに血の通った感じは無く、言うなれば、ブリキで出来たロボットが並んでいるかのような光景であった。
ズボンの下には、校章入りの白ブリーフを穿いているのが正しい。教壇から見ると、白い雪が降ったかのように、教室が白く染まる。だが、ここでも多少の違和感があることを、A教諭は見逃さなかった。
「F! なぜ短パンを穿いているんだ!! それから、G! お前も短パンを穿いていただろう!ズボンと一緒に脱いでも無駄だぞ!!」
Fは白の短パン姿であった。学生ズボンを下ろしてこの状態と言うことは、重ねばきをしていたということを意味する。また、Gの下ろした学生ズボンの中には、白い短パンがはっきりと見えていた。短パンの重ねばきについても、T中学校では御法度であった。
「お前らも、服を着る資格は無い。あいつらと同じように、パンツ一枚になれ!!」
FとGは、カッターシャツとランニングシャツを脱ぎ去り、校章入り白ブリーフ一枚となる。依然氷点下の寒さの中、合計6名が白ブリーフ一丁で立っているというこの状況は、異様でしかない。だが、こんな状況ですらおかしいと思えないくらいにまで、皆の感覚は麻痺していたのだった・・・。
A教諭は、教室を巡回しながら、他の生徒たちの校章入り白ブリーフを確認していく。この恥ずかしい下着検査はしばらくの間は淡々と進んだが、ほどなくA教諭の怒号が教室に響いた。
「おいH! お前はパンツを何枚穿いてるんだ!?」
そう言うや、A教諭はHの白ブリーフに手をかけて、ズリッと引き下ろしてしまった。しかし、Hはやはり白ブリーフ姿である。A教諭の勘は当たっていて、Hは白ブリーフを2枚重ねて穿いていたのだった。下着を二重に着込むことも、やはりT中学校の規則では御法度である。
「お前もパンツ一枚になれ!」
これで、合計で7名が白ブリーフ一丁になってしまった。40名のうちの7名だから、二割に近い。全員の白ブリーフを確認し終えたA教諭は、次の指示を出した。
「よし、ズボンを上げて学生服を着てよろしい。ただし、パンツ一枚で立ってるアホどもは、前へ出てこい!」
BからHまでの7名が、教室の前へ呼び出される。そして、
「両手は上! 足を開いて、尻を突き出せ!!」
との命令が下される。もはや彼らがどのような運命を辿るのかは言わずもがなである。白ブリーフ一丁の7名は、寒さのためか恐怖のためか、相変わらず無表情の顔をひきつらせていた。
A教諭は教室の隅に立てかけてあった愛用の竹刀を手にとり、Bの後ろで構える。数秒の後、その竹刀が猛烈な勢いで、Bのまだあどけなさの残るかわいい尻を打った。
バッシーーン!!
年季の入った竹刀である。いったい、延べ何人の尻を、この竹刀は打ってきたのだろうか。先輩たちの汗と涙を吸い込んできた古い竹刀は、引き続き、CやDやEの尻も容赦なく打ち据えていく。
バッシーーン!!
バッシーーン!!
バッシーーン!!
バッシーーン!!
バッシーーン!!
バッシーーン!!
最後のHの尻を打ち終えると、A教諭は竹刀を置き、7人にさらに残酷な罰を言い渡した。
「よし、お前らは今日1日は体育短パンと体操シャツで過ごせ! そして、明日から1週間は、夏服で登校だ!!」
その日、結局気温は3度までしか上がらなかった。休み時間の度に窓を全開にして換気される教室は、まるでチルド室のようであった。そんな中、彼らは白短パンに白体操シャツという姿で過ごさなければならなかった。なお、女子でも防寒着使用が発覚した者がおり、やはりブルマに白体操シャツという姿で1日を過ごすこととなった。
体育の授業のように身体を動かせば、まだ温かくなる。しかし、国語や数学の授業では、どうしようもない。身震いしながら時間が過ぎるのを待つしかなかった。
翌日の朝も、氷点下の冷え込みとなった。T中学校へと向かう道を、生徒たちがとぼとぼと行く。本来ならば誰も気に留めないような日常の光景であるが、この日は違った。7人の男子生徒と3人の女子生徒の服装に、すれ違う人は皆驚くのだった。
男子は半袖の開襟シャツ,女子は半袖のセーラー服という、夏の制服姿である。北風が吹き付ける中、背を丸めて震えながら歩いていく姿は、憐れ以外の何者でもなかった。
かれらがこうなった理由は、セーターの着用,短パンの重ね穿き,ブリーフの重ね穿きである。言ってしまえばこの程度のことで、斯様な大ごとになってしまう。これが、T中学という学校なのであった。
= 後書き =
この小編はフィクションですが、
[管理教育小篇] 体操着には名札を縫いつけるべし! と同じく、元ネタがあります。
はやしたけしさんの著書、『ふざけるな!校則(パート3)』の第5章に、とある公立中学校の校則が全文掲載されています。( 〈管理教育〉に興味のある人の間では結構有名なのかもしれません )
ふざけるな!校則―負けるな!全国の中学・高校生へ!〈パート3〉
本の出版は1989年7月、したがって、ここに掲載されているのは、その少し前の校則ということになります。
今回の小編と関わる部分だけ、引用しておきます。
2 服装、身だしなみ
《 服装規定 》
(9) 本校では、靴下だけでなく、以下にあげるもの・及びその他の衣料品は全て、学校指定とする。下記のもの以外は、理由のいかんにかかわらず着用してはいけない。
(イ)男女共、ベルト〔校章入り。学年色〕
(ロ)男女共、夏服・冬服共、体育用制服。〔校章入り。学年色〕
(ハ)全ての下着類及び着用物。〔校章入り。全て白〕
(二)各種靴類。〔所定の枠内に正しく記名すること。〕
(10) 男女共、夏・冬共、カッター・ブラウスの下には本校指定のシャツ・スリップを着用すること。また、ズボン・スカートの下にも正しく本校指定肌着を着用すること。2重に着用したり、短パン・ブルマを着込んだりしてはいけない。
(13) 男女共、手袋・コート・マフラー・セーター等の防寒具及びこれに類するものは絶対禁止する。特に、カイロやリップクリームを使用したり、下着を2重に着込んだりすることが絶対にないよう注意すること。但し、女子に限り、本校指定ベストを冬服の下に着用しても良い。これ以外は認めない。
● (13)について―スゲェー! 今から思えばよく三年ももったものです。違反して防寒具を使用すると、一週間、夏服で授業を受けさせられます。
(15)服装検査は、毎日1・2回行う。主に認証マーク・校章マークについて調べるが、合わせてスカート床上等重要部分の計測も行うので注意すること。また、検査中は時間内に終わるよう協力すること。
3 校内生活
(13) 朝8:40~の服装検査は、毎日行う。方法は、《服装規定》に定められた方法とする。
この記事を書いているのも2月です。立春を過ぎて、暦の上では春と言っても名ばかりで、『早春賦』の歌詞そのものの毎日が続いています。
外出するときには、カイロを背中に貼り,セーターを着込み,ジャンパーを羽織ります。それでも寒いです。
防寒具が一切使用禁止だなんて、想像するだけで恐ろしい話ですね・・・。
服装検査は、この中学校の日課表によると、朝と帰りの2回実施されていたようです。
朝は、短学活と1限目の間(午前8時40分~8時50分)。帰りは、清掃と短学活の間(午後3時40分~3時50分)。
定例の検査がこんなにあって、本当に、検査が好きな学校ですね・・・。
というわけで、本作も、
[管理教育小篇] 体操着には名札を縫いつけるべし! と同様、〈 歴史的事実を基にしたフィクション 〉ということなのです。
信じられない話ですが、今から25年前に、実際にこの日本でこういう学校があったということですねー。
今回はここまでとします。
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防寒のためのブリーフ重ね履きというのもあるんですね!!
「今日1日は体育短パンと体操シャツ」というトドメの罰がすばらしかったです。
「防寒」で思い出したのですが、太朗が小学校頃まで、「毛糸のブリーフ」(毛糸のパンツと呼んでました(#^.^#)。)なるものがあったような記憶があります。セーターがそのままブリーフになった感じのもの。実際、「防寒」のため、母親から履かされていた記憶がよみがえりました(爆)。
あれなんかも、みつかれば、ケツ竹刀だったんですね。厳しいなぁ。また、まわりから嘲笑の標的になっていたかもしれませんね。