もう早くも15年以上経ってしまいましたが、中学の頃、学生帽をかぶって登下校していました。
(注:夏服のときには、白い体操帽子をかぶって登下校していました)
僕は、中学の時に20世紀から21世紀への節目を過ぎた世代です。
公立の中学で学生帽があるというのは、すでにかなりレアで、この世代としては珍しい経験をしたといえるのかもしれません。
同級生の多くからは、「ダサい」「時代遅れ」などと不評だったと記憶しています。
でも、個人的には、なんだかバンカラな感じ(?)がして、嫌いじゃなかったです。
一周回って、カッコいいというのか(笑)
“旧き佳き伝統” を大切にする学校だったため、いろいろなものが遅くまで残っていましたね。
僕が通っていた時には、通学時の肩掛けカバンや、体育のときの白短パンも健在でした。
肩掛けカバンが廃止されたのは、僕が卒業してからすぐ。2~3年後のことでしょうか。
白短パンも、僕の卒業から7~8年くらい後には姿を消しました。
そして、ついに、学生帽の伝統にも終止符が打たれたようです。
平成が終わる前に、このときが訪れたのですね。
(むしろ、平成30年まで残っていたことがすごいと思いますが)
全国的に見て、学生帽が無くなったのはいつ頃なのでしょう。
元号が昭和から平成に変わり、1990年代に一挙に消滅が進んだというイメージがあります。
(というのは、僕が中学に入学した2000年には、すでにレアだったからです)
新聞記事を調べてみると、いくつかヒットします。
不思議と、九州の記事ばかりなのですが。
せっかくですので、ご紹介しましょう。
(一部、人名など伏せます)
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男子生徒の学生帽姿、全国的に減少の傾向。県内でも長髪増えて、指導も緩和(熊本日日新聞,1995年11月6日付)
男子生徒の学生帽姿が見られなくなりつつある。明治時代から「学帽」「制帽」の名で親しまれてきた学生帽だが、近年、中・高校でも長髪の生徒が増え、かぶりたがらなくなったことが大きな理由。同時に学校側も「形式的な着用指導は意味がない」と、着用を強制しなくなった背景があるようだ。
熊本市内のある帽子店によると、五、六年前から熊本市内の学校では帽子の着用を生徒の判断にまかせるところが増え、売り上げが大幅に落ちているという。「長髪の子が増え、帽子を嫌がるようになったため。また、詰め襟の黒服に代わって、ブレザー型の制服が増えたことも拍車をかけている」と同店。
京都府にある帽子メーカーでも「学帽がかぶられなくなったのは全国的な傾向。注文数は十年前の三分の一」と裏付ける。
熊本市の熊本工業高校(****校長)では平成六年度から帽子着用を強制しなくなった。今では学生帽をかぶるのは丸刈りの運動部員ぐらいで、男子生徒の約一割ほどしかいない。
「以前は帽子をかぶるよう注意していたが、生徒は帽子を袋に入れてきて教師の前で一瞬かぶるだけだった」と元生徒部長の****教諭。「名ばかりの指導でなく、今は生徒の内面を大事にする教育が求められている。職員会議でも自由化に全員賛成でした」という。
熊本市立武蔵中(****校長)も五年前に帽子の着用を自由にした。「帽子は髪形がくずれるし、カッコ悪い」と二年生の男の子。****教頭は「昨年まではかぶる生徒が一人いたが、今はゼロ。かぶりたくないものを強制しても、生徒、教師ともいやな気分になるだけです」。
同市立碩台小(****校長)では、十数年前まではほとんどの男子がかぶっていたが「いつの間にか、だれもかぶらなくなった」(中野真一郎教頭)という。
一方、熊本市以外では、丸刈りと学帽着用がまだ校則になっている中学校も多い。鹿本地区のある中学校の教頭は「学帽は伝統的なもの。今のところ校則を変えるつもりはない」という。同中も含め校則化しているところは「登、下校時にずっとかぶっているかはともかく、着用率は一〇〇%近い」という。
熊本市立五福小(****校長)は学帽着用を強制していないが、ほとんどの男子がかぶっている。
「伝統校で同校出身の父親や祖父が、帽子は服装の一部と考えているからでしょうか」と学校では話している。
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消えた学帽、頭髪の自由化を契機に/鹿県内中学・高校(南日本新聞,2000年4月15日付 夕刊)
男子中、高生の登下校風景を見ていてふと気が付いた。「制帽がない」。鹿児島県内では、学生服に制帽はごく当たり前の風景だと思っていた。ところが今、いくら探しても、帽子をかぶった生徒は見当たらない。あの黒い学生帽はいったいいつ姿を消してしまったんだろう。
放課後のJR西鹿児島駅周辺。下校中の生徒に帽子姿を見つけることはできない。鹿児島市内の男子高校生は「中学の最初はあったかな。でもかぶったことなかった」。別の高校生も「中学からなかったし、高校入学のときも買うようにいわれなかった」と話す。
制帽への意見を聞いても「髪が乱れるし、なんかうざったい」とつれない。進学校へ入学したばかりの一年生だけが「かぶりたくはないけど、校章入りの帽子は記念に持っておきたいかな」と答えた。
◆長髪に合わない
鹿児島県教委や鹿児島市教委に尋ねると「今はほとんどかぶっていないよう。でも個々の学校の対応なので、いつからかははっきりしない」との返事。無理をいって調べてもらったところ、今年の四月現在、鹿児島市内の公立中学校で帽子着用の学校はゼロ、高校でも強制しているところはないらしい。県内全体でもかなり少なくなっているようだ。
同市の伊敷中の生徒手帳には、もう「制帽」の文字はない。一九九五(平成七)年、九六年に同校校長を務めた川内市の****教育長(63)は「帽子をかぶる生徒はすでに少なかった気がする」と振り返る。「長髪の生徒が増え、似合わないからと消えていったように記憶している」
そういえば鹿児島市内の中学校は九二年の長田中を皮切りに頭髪の自由化に踏み切り、九五年には三十二校すべてで丸刈りが「廃止」された。学校などの話を総合すると、そのころ頭髪を含む校則の弾力化が進み、髪が伸びるのに並行して、帽子着用も自由になっていったようだ。生徒会で制帽のプラス面、マイナス面を話し合い、廃止の方向を決めたところもあるという。
高校は中学より一足早く、九〇年前後に姿を消したようだ。それ以前から長髪の生徒が多く、セットした髪形が乱れるのを嫌い、先生の立つ校門前でだけ帽子をかぶる生徒も多かった。
鶴丸高校は九〇年ごろから着用を強制しなくなった。今も校則に制服・制帽の規定は残るが、実際にかぶっている生徒はいない。県内の公立高校で頭髪自由化が最後だった鹿児島商業も「着用する場合は学校指定のもの」としており購入は希望者だけ。丸刈りの部活動生「ごく数人」(同校)だけがかぶっているという。
学生帽は、長髪化と校則の簡素化、そして生徒の自主性尊重などが作用し合って消えていったようだ。
◆残る校章
かつて学生帽はバンカラの象徴で、汚したり形をくずしてかぶるのがいきとされた時代もあった。
甲南高校OBの五十代の男性は、祖父が旧制二中、兄も甲南卒。三本の白線の入った帽子にあこがれ、「かぶれたときにはうれしかった。愛着は今もある」と懐かしむ。
戦前から制帽を扱っていた鹿児島市のはぎはら帽子店には、毎年入学前には多くの生徒が帽子を買いに訪れた。しかし、ここ数年、そんな光景もみられなくなった。「昔は帽子を見れば一目でどこの学校かわかった。でも逆にそれがいやな子供もいたでしょうね」と店主の****さん(75)。
**さんは帽子に付ける各校の校章を、今も処分できずに保管している。「時代だから仕方ない。でも残念、寂しいねえ」
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「学生のシンボル」時代とともに 姿消す「制帽」 (長崎新聞,2001年8月24日付 )
中学、高校の男子生徒らが登下校の際にかぶっていた「制帽」が姿を消しつつある。以前は各学校の校則で着用を指導していたが、十年ほど前から県内の学校でも男子の「丸刈り廃止」の流れが定着、ほとんどの学校が着用を自由化した。今では、町中で詰め襟に学生帽姿の生徒を見掛けることもなくなり、長崎市内の帽子専門店にも在庫がわずかに残るだけだ。
「確か十年ぐらい前かなあ」。制帽を見なくなったいきさつを尋ねると、****・長崎市立日見中学校長が記憶をたどってくれた。**校長は、市内にある中学校の生徒指導担当職員らで構成する「生徒指導主事部会」の部長を務める。
**校長の説明では、約十年前、県内の公私立高校で制帽着用に関して「夏場にかぶると蒸れて暑い」と校則の見直しを求める要望が生徒らから相次いだ。学校側も「衛生面の配慮が必要」と判断、制帽着用の校則の規定を廃止、着用を自由化する動きが広がった。
この時期、生徒の人権尊重などの観点から「丸刈り廃止」が浸透。さらに、教育関係者の間からは「画一的な印象を与える」「軍国主義を想起させる」との意見も上がり始め、「時代に合わなくなり、着用させる意義が薄れた」(**校長)。ここ四、五年で同市内のほとんどの学校の校則から「制帽着用」の記述が消えた。ほかの地域でも「自由化したのでは」(同校長)という。
県内の学校で制帽着用の規定を残している学校数については、県教委も把握していない。だが、担当者は「指導している学校は恐らく残っていないだろう」とみる。
一方、制帽の着用自由化で帽子専門店は打撃を受けた。ヤマシタ帽子店(同市江戸町)では以前、年間約五、六千個を県内で販売していたが、ここ数年間の販売数はゼロ。店内には形崩れした在庫が残るだけ。
同店の**さん(51)は「売り上げにも相当響いた。だが、それよりも、男子学生のシンボルだった制帽が消え、学生らしさが失われていくようで寂しい」と話した。
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こうして見てみると、学生帽は「昭和のアイテム」だと言えるのかもしれませんね。
ゴールデンウィークも終わり、南のほうでは早くも梅雨入りしたとのニュースもありますが、お元気でいらっしゃいますか。
さて、Nikkohさんの母校もいよいよ学生帽が無くなってしまいましたが、これも時代の流れなのでしょうか。これまで残っていたことが奇跡に近いのですが、いざなくなってみると、やはり一抹の寂しさを感じますね。
私なら正直に話して販売店で購入したような気もするのですが、Nikkohさんはどうされたのでしょうか。
さて、今は日本の地方都市(田舎)は人口規模や言葉、文化が異なっても、何処も均質化され同じような印象を受けるのですが、2000年代初頭は地域によっては驚くほどの違いがあったように思います。
教育は地域の文化、成熟度を考慮する上で欠かせない要素だと思いますが、紹介されているように、ある市では1995年当時、既に丸刈り校則や学生帽も無い状況にあって、そこから車で30分位の隣接した町においては2000年を過ぎても丸刈り校則や学生帽の着用義務があるということがありました。つまり、2つの町が隣接していたとしても、境界を挟んで男子中学生は見た目からして異なっていたことになります。そして、地域住民のものの考え方も。
95年当時、学生帽はあとが付いて格好悪いという長髪の中学生がいる一方、2000年を過ぎても男子全員丸刈りで学生帽着用の学校があったことは興味深いですし、丸刈り校にあった独自教育が萌え要素を増幅させていると思いました。
それにしても、Nikkohさんの学生服姿と学生帽、とっても良く似合っていらっしゃいますね!
帽子は似合うか似合わないか、はっきりと別れますが、😉👍✨です。
最後になりますが、Nikkohさんのメールアドレスが分からなくなってしまいました。お時間のあります時に、メールをお願いします。
尚、その際可能でしたら、私がはじめてNikkohさんにお送りした自作小説で、Nikkohさんが掲載したいとの作品がありましたが、添付していただいてもよろしいでしょうか。可能であれば。もう一度読んでみて、掲載をお願いすることになるかもしれません。
ご面倒なら添付はなくても大丈夫です。
はねはね